知人の移住サポートがキッカケで…。
木下健一さん、じゅんこさんは富士町在住の農家さん。地元民として長年、住居探しや移住者のサポートなど、移住者と地域の架け橋として活動されています。わたしたち家族も困ったらご夫婦の顔が浮かぶような存在のお二人に、”移住”を中心にお話を聞きました。

(矢野)
健一さん(お二人)は元々、集落支援員※1だったんですか?そもそもどういうキッカケで移住支援をやるようになったんですか?
(健一)
集落支援員とは全然関係なく、自分は仕事(農家)しかやっていないんです。自分は、移住者の住居を探すお手伝いをやっていますが、これが集落支援員として動いていたとしたらまた違ったことになっていたかもしれません。義務感みたいな、、、。あの制度はお金も入ってくるから仕事となると自分のスタンスとは違うんです。自分は自分の仕事がきちんとあって、その上で幸せになることを手伝いたい。ひとが幸せになってくれることを手伝いたいって気持ちでやっているんです。
(純子)
移住される方ももちろん幸せになってもらいたいけれど、移り住んだ先の周りの方も幸せになってもらわないとうまくいかないと思うんですよ。元々住んでいる方も笑顔になってくれないとうまくいかないんです。それをこれまでやりながら感じていって。
(矢野)
健一さん(お二人)は元々、集落支援員※1だったんですか?そもそもどういうキッカケで移住支援をやるようになったんですか?
(健一)
16,7年前だったと思うんですけど、一番最初のキッカケはある知人の移住がキッカケでした。その方は子育てを山でやりたいと…。だから山に住みたいんだという話を聞いたんです。だったら地元で探してみようと。そしたら探してみたら近所にたまたま家が空いていて、あれよあれよと話が進んでいったんですよ。その時は本当にトントン拍子でした。最初は賃貸で話を進めていたんですけど、家主の方から買いませんか?という話があったので、知人に打診したところ買うと。
それからですね、より具体的に移住支援について考えるようになったのは。
良い移住者の人が来てくれたら地域がいい方向に変わってくるのかもしれないね、ということを思いはじめたんです。
(純子)
この前、大掃除をしている時に、たまたまわたしたち夫婦が結婚した時に受けたインタビュー記事を見つけたんです。20年前くらいの富士町議会だより(当時はまだ合併前で富士町単独の自治体だった)なんですけど、移住者が増えるお手伝いがしたいっていう話をしていたんです。この頃から実はやりたいって思ってたんだ、今に繋がることをって。山手を守っていくためには移住者を増やしていかないと厳しい。子どもさんたちが残っていないから移り住んできてもらえるような手伝いをしたいという話をしていて、それが段々と形になってきているんです。
第二回では、移住支援をする中で聞こえてきた周囲の声や感じたこと、移住のあり方に関する考えなどをお聞きします。
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