山本満恵さんの「大根の柚子漬け」
記念すべき第一回目は、この企画の産みの親とも言える山本満恵さん。barvaをオープンさせる前まで働いていた同じ町内(佐賀市富士町)のお蕎麦屋さん「木漏れ陽」の大先輩スタッフで、御年83歳。お店でだしている混ぜご飯や佃煮の味を決めているのも山本さんで、時々持参してくれるお茶うけもハズレがなく、わたしは知り合って早々の頃からお近づきになりたいと思っていた。レシピは無く、感覚でつくって美味しいものができてしまうのは、育ててきた舌のなせる技。でも、受け継がれずに途絶えてしまうのはあまりにも惜しい。野暮かもしれないけれど、記憶だけではなく記録に残して皆さんに共有したい。

大根の柚子漬けを教わりながら、あまりにパワフルな山本さんの半生をお聞きした。
山本さんは満州生まれで、5歳の頃に帰国。父親の故郷であり、現在も暮らす三瀬村(現・佐賀市三瀬)に移り住んだとのこと。時は流れ、近所の幼馴染と結婚し、二人のお子さんを育てながら当初は洋裁の仕事をされていたそう。しばらくすると、弟さんに請われて型枠大工の会社で働くことに。事務ではなく、そこではなんと現場仕事をやっていたというパワフルさ。おまけに家事や育児を当然のようにこなし、畑仕事や漬物作り、山菜採り、パン作りに地域行事への積極参加と、休む暇もないほど動き回っていたらしい。
“食べるため”“楽しいから”と飄々とおっしゃるが、その働きぶりには感服せざるを得ない。
「木漏れ陽」で同僚として働いていたある時、仕事終わりに山菜採りに山に出かけた山本さんは滑落して、最後は崖から転落。首の骨や肋骨を折りながら、生きて帰らねばと歯を食いしばって歩いて家まで帰ったという。それだけでもスーパーマンなのだけど、そこから数日間は病院に行かず、家事もこなしていたらしい。当然のことながら、その事実にお医者さんはぶったまげたとのこと。しかもその後は独自考案したリハビリメニューを日々こなして、今では後遺症も残らず回復。また、ボケ防止のためとポケモンGOに勤しみ、膝が痛いと思えば膝周りの筋肉を鍛えるために曲げ運動や歩行訓練に地道に取り組んでいる。
専門家任せにせず、日々考え、工夫をしながら実践を積み重ねていく。そこに大根の柚子漬けの美味しさのヒントがあるようにも思えた。根性がありすぎて、簡単には受け継げそうにもないけれど、大根の柚子漬けと共に、山本さんの生き方も受け継いでいきたい。
コメント
この記事へのコメントはありません。
この記事へのトラックバックはありません。