「あれよあれよと環境が整っていく」
引っ越し先の富士町は脊振山地のてっぺんに位置していて、周りは当然ながら自然物ばかり。
過疎地域指定を受けていて、ひとよりもイノシシや他の生きものが多いほど。
それでも引っ越し当初は、今でこそ呼吸をするようにやっている畑仕事にもさほど興味が無く、家に付いてきた山も手放そうかと話しているくらい自然とは距離がありました。
それが変わっていったのが、近所の人たちとの関わり。
家庭菜園で作られた採れたて野菜をいただくうちに少しずつ気持ちが変化していき、暮らしの中に畑仕事があることが羨ましく思えるようになったのです。
決定打となったのは保育園の庭の一角で野菜を作っていることを知ったこと。
「どこでも作れるやん」
それから間も無く、自分たちの庭で野菜づくりをはじめました。興味の深まりと共に近所の農家さんに習ったり、耕運機を買ったり、少しずつ畑の面積も増やしていきました。この地域の面白いところは、家庭菜園をはじめたという噂が拡がると、”うちの空き畑を使わないか?”と近所の人が声をかけてくれること。本当にありがたいことです。

今では矢野家の家庭内自給率100%となっている鶏(卵)も同じようなものでした。
保育園終わりに子どもたちと近所を散歩していたときのこと。鶏を飼っているおじさんが『ヒヨコが産まれたけど持ってくか?』と声をかけてくれたのです。大喜びの子どもたちが家に連れて帰ると、夫は戸惑いながらも、せっかくだからと家で飼うことになりました。虫嫌いの夫が鶏を飼うなんて、山に引っ越してくるまでは考えられないことでした。
そうやって飼いはじめた鶏も今では、26羽。合鴨もいます。何事にもハマり症の夫は孵卵器まで導入し、品種にもこだわるようになりました。
実は矢野家ではヤギも飼っているのですが、ヤギも同じようなパターンでうちにやってきました。夏に生い茂る草たちをなんとかしたい。けれども、草刈機では対応してては骨が折れる。ヤギに食べてもらいたい。そういう話をしていると、”隣町でヤギを飼っている方が手放したいヤギがいる”という話がどこからともなく聞こえてくるのです。

今、矢野家では引っ越した当初からは考えられない暮らしが拡がっています。夫はデザイナー兼農家となり、barvaのお菓子で使う小麦や卵の自給も見えてきました。山暮らしや自給自足を求めて引っ越してきたわけでは有りませんでしたが、今ではこの地での暮らしから本当に充足感を得られています。
もしわたしたちの暮らしに興味が芽生えた方は、barvaにいらした際にお気軽に声をかけてください。
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